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阪神淡路大震災[写真調べ学習]プロジェクトの中高生、大学生の活動(公式サイトはhttp://home.kobe-u.com/sinsai/)と、防災副読本『語り継ぎたい。命の尊さ~阪神淡路大震災ノート』(学びリンク刊)関連の動きをお伝えします。
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【写真5】一枚の張り紙 「女性一人 家屋の下にいます」:なぜ、助けられずにそのままになったのか? その女性の命は?/僕たちの阪神大震災ノート
【写真5】庭の木には救出を訴える張り紙が… 芦屋市津知町(1995年1月17日午前11時 神戸新聞社)
写真はここをクリック↓

http://home.kobe-u.com/sinsai/images/photo05_theme.jpg

「女性一人 家屋の下にいます」
という手書きの張り紙に、
なんともいえないショックを受けました。
なぜ、助けられずにそのままになったのか。
その女性の命は助かったのか。
つくば開成高校京都校のチームは
まず、この写真を撮影した
カメラマンに話を聞こうと、
神戸新聞社の写真部に
電話で聞いてみることにしました。

撮影したのは、
小藤カメラマン(現在は神戸新聞を退職)
とわかりました。
小藤カメラマンは、震災の日、
大阪南部の友人の家に泊まっていて、
友人の車で神戸に向かいました。
途中、渋滞に巻き込まれて進まなくなったので、
車を降りて、道すがら目についた光景を写しました。
その中で撮ったのがこの写真です。

「この紙を書いたのは僕や」

芦屋市津知町を内田さんと一緒に歩きました。
当時の町の自治会長・杉本貞夫さんにきくと
「これは津知町では」といいます。行ってみると…。
「この紙を書いたのは僕や」という男性に出会いました。

インタビュー取材

その男性から、この家の救出の様子を
詳しく聞くことができました。
母親(70歳ぐらい)と娘さん(40歳ぐらい)の
二人が生き埋めになり、
男性らはおよそ30分かけて
屋根のかわらをどけ、
2階で寝ていた娘さんを救出しました。

今も残る桜の木

男性は、さらに
母親の救助を断念せねばならなかったわけ、
紙に書いて貼ったその目的も
話してくださいました。

男性によると、あとで自衛隊が来て、
お母さんは運び出されましたが、
高齢で瓦礫の下敷きになったために、
助からなかったそうです。

いまも芦屋市川西町には、
桜の並木が残っています。
《取材日 2009年1月23日》

今も残る桜の木

明暗を分けた母と娘

重傷を追いながらも救出された娘さん、
残念ながら助からなかったお母さん。
娘さんは、近くの野球場のベンチに運び出されます。
腰などを骨折して動けない彼女は、
幼稚園まで抱えて運ばれます。
その後、何時間かあとに救急車が来て、
芦屋病院に運ばれました。

「娘さんは、お初天神の近くで
おでん屋を経営していた」と聞き、
取材を始めました。
その店があった梅田新道近くのビルを訪ねてみると、
娘さんの消息を知る人に出会いました。

現在大阪にお住いの娘さん(61)に
電話でお話を伺うことができました。
「いろんな人が絶えずサポートしてくれた。
いろんな方に助けていただいた…」と
話してくれました。
《取材日 2009年3月26日》

もっと詳しいリポートは…
公式サイト
http://home.kobe-u.com/sinsai/photo05.html
をご覧ください。
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