FC2ブログ
阪神淡路大震災[写真調べ学習]プロジェクトの中高生、大学生の活動(公式サイトはhttp://home.kobe-u.com/sinsai/)と、防災副読本『語り継ぎたい。命の尊さ~阪神淡路大震災ノート』(学びリンク刊)関連の動きをお伝えします。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【写真17】焼け跡で冥福を祈る友人たち:手を合わせているのはクラスメイトなのか/僕たちの阪神大震災ノート
【写真17】亡くなった美紀さんの冥福を祈る友人たち(1995年1月26日神戸市長田区若松町 毎日新聞社) 写真はここをクリック↓
http://home.kobe-u.com/sinsai/images/photo26_theme.jpg

友だちを亡くすこととは

photo26_team.jpg

亡くなった女性はどんな人だったのか。
手を合わせているのはクラスメイトなのか。
友だちを亡くすというのはどのような心境なのか。
静かに考えさせられました。
つくば開成高校京都校チームが調べ始めました。

若松町10丁目ではないか

photo26_syuzai5.jpg

2009年1月17日の朝、
神戸の東遊園地で「1.17のつどい」に参加し、
取材しました。
死亡者の記録から
「長田区若松町で亡くなった女性は26人いる」、
「美紀さんは17歳」、
「亡くなった場所は若松町10丁目ではないか」
という情報を得ました。
震災当時の新聞には、
亡くなった人のお名前と
亡くなった場所(兵庫県警発表)が掲載されていたのです。
《取材日 2009年1月17日》

撮影は毎日新聞社の高橋カメラマン

photo26_cm.jpg

毎日新聞に問い合わせると、
撮影は出版写真部の
高橋勝視カメラマンの撮影とわかりました。

 震災5日後ぐらいに神戸に入った時は
 ただただ驚いた。
 表紙の写真を撮ったのはそれから更に5日後で、
 倒れた家が片づけられ、
 見えなかった道路も見えてきていた。
 街は復興に向けどんどん動いていた。

 1月26日の撮影時は、
 鷹取商店街の瓦礫がどけられていて歩けた。
 そして、商店街を歩きながら
 祈っている人たちを見かけて、
 北西からこの人たちを撮ったと思う。
 なので、おそらく、北西、商店街の方から
 (南東側の)若松町10丁目の方を
 撮っているのではないだろうか。

 祈っている所にたまたま通りかかって撮影した。
 その人たちに美紀さんが亡くなったことを聞いた。
 冥福を祈っている姿を見て、
 人の死を現実のものとして感じられた。
《取材日 2009年1月26日、
 横浜緑ヶ丘高校が8月2日に写真取材》

ひたすら街を歩いて取材

photo26_syuzai2.jpg

若松町を、歩いて取材しました。
地元の市民の方、商店や、学校関係者にも取材。
さらに過去に新聞の情報も総合すると、
美紀さん宅は、父、母、祖母、3姉妹の
6人家族だったこと。
母・政代さん(43)、
次女美紀さん(17)、三女由佳さん(15)の
3人が亡くなったこと。
美紀さんは、市立の工業高校の
自動車関連の学科に通っていたこともわかりました。
そして、長女(美紀さんのお姉さん)が、
結婚されて大阪府内にお住まいで、
連絡先もわかったのです。
《取材日 2009年3月18日ほか》

呼んだけど、返事はなかった…

お姉さんの山下規子さんさんは、
電話での取材なら、と応じてくださいました。
妹の美紀さんへの思いを話してくださいました。

 美紀は、タンスが落ちてきて…、圧死だったと思う。
 お母さんがずっと「美紀ちゃん美紀ちゃん」って
 呼んでたけど、返事はなかった。
 その母も、火事で亡くなった。
 一番下の妹(由佳さん)は
 「規子姉ちゃん、助けてー」って何度も言っていた。
 「助けたるから待っときよー」と言ったら、
 「うん」と返事した。約束を守れず、
 いまでもその声が忘れられない。
 でも、美紀は最後まで声してなかったから、
 分からへん。

(美紀さんには)彼氏もいて、
 その彼氏は高校1年の時から
 ずっとつきあっていて、
 その子が最初に駆け付けて…。
 「美紀はみつからへんねん。あの火の中やねん」
 っていって泣いていたら、その子が、
 絶対にどっかに逃げるかもしれんって、
 必死に探してくれた。
 彼氏以外にも、何人か男の子が来て…。
 その後に皆が来てくれて、骨を拾ってくれた。

 美紀には、たくさんお友達がいて、
 男女区別なしにいっぱい友達がいて幸せやと思った。

photo26_syuzai4.jpg
【写真上】震災から15年たった。整然とした街並みの若松町10丁目周辺。(2010年1月撮影)

めちゃくちゃいい子、明るい子だった

お姉さんの情報などから、
美紀さんの担任の先生がわかりました。
お手紙を出して許しが出たので、
お会いして話をうかがうことができました。

Q.写真に写っている方々は誰ですか?
A.クラスメイト。写真に写っている以外に、
 (現場には)もっと生徒がいた。
Q.美紀さん達が何年生の時の事ですか?
A.高二の最後のほう。修学旅行の直前だった。

Q.美紀さんは学校でどんな人でしたか?
A.めちゃくちゃ良い子で明るい子だった。

写っている生徒にも連絡をとってみる
とおっしゃって、先生からの連絡を待ちました。
《取材日 2010年2月25日》

先生が死を告げた。クラスは静まり返った

瀧川先生の紹介で、美紀さんのクラスメートで、
写真前列の左から3番目に写っている
矢口雄介さんに、
インタビューすることができました。

美紀さんが亡くなったのを知ったのは、
学校に初めて登校したときでした。
瀧川先生の口から聞く前に、
美紀さんの家の近くに住んでいた
クラスメートから聞きました。
その後、改めて瀧川先生のほうから聞かされます。

「クラスはシーン…と静まりかえっていましたね」
と矢口さん。
矢口さんと美紀さんとは席も近く
班も一緒だったので、仲の良いほうでした。
美紀さんは、可愛らしい人で、
明るく、誰とでも話す元気な人でした。

自宅跡に行ったのは、
学校に(最初に)登校した後、
仲の良いクラスメイト、
そして瀧川先生とで向かった。
その時に撮影されたのが、この写真です。

もっと詳しいリポートは…
公式サイト
http://home.kobe-u.com/sinsai/photo26.html
をご覧ください。
コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。