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阪神淡路大震災[写真調べ学習]プロジェクトの中高生、大学生の活動(公式サイトはhttp://home.kobe-u.com/sinsai/)と、防災副読本『語り継ぎたい。命の尊さ~阪神淡路大震災ノート』(学びリンク刊)関連の動きをお伝えします。
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【写真10】焼け跡に立ち尽くす被災者:彼女は何を見つめているのか?…見つかったのは指輪と焦げたネックレス/僕たちの阪神大震災ノート
【写真10】自衛隊の懸命の作業が続く中、ぼう然と立ち尽くす被災者=1995年1月23日午前11時10分、神戸市長田区で 読売新聞社)写真はここをクリック↓
http://home.kobe-u.com/sinsai/images/photo14_theme.jpg

女性は何を見つめているのか

photo14_team.jpg

地震発生からもうすぐ1週間が
たとうとしているときに、
この女性は焼け跡で
何を探しているのでしょうか。
背後の、懸命に捜索活動を続ける
自衛隊員のたくましさと対照的な、
この女性のまなざしがたいへん気になったのです。
この女性に会えるか、横浜緑ヶ丘高校チームが
取材を始めました。

なかなか声をかけられなかった

photo14_cm.jpg

読売新聞社大阪本社読者センターに
問い合わせたところ、
撮影したのは当時東京本社写真部に
所属していた川口敏彦さんと判明。
電話でお話を伺いました。

Q.この状況,このアングルを
  どのように撮影しましたか?
A.自衛隊は、下敷きになって
  助からないまま亡くなった方々の
  遺骨を探している。
  (手前の)少女は自宅の焼け跡から
  思い出の物を探していた。
  普通のレンズでは
  後ろの自衛隊が小さく写るので
  望遠レンズで自衛隊を大きく写した。

Q.被害した人と接するときに気をつけたことは?
A.家のあった場所に位牌を添えたり、
  焼け跡の遺骨を探している人を目の前にし、
  なかなか声をかけることが出来なかった。
  みんなぐったりしていて元気がなく,、
  新聞に必要な最低限の事実関係だけを聞いた。

読売新聞は、震災5年の2000年1月に、
別のカメラマンが追跡取材を
していることがわかりました。
その記事で、女性のお名前(旧姓も)と
写真の撮影場所が長田区内ということが
わかりました。ただ、具体的な場所は
東京本社勤務だった川口さんに
土地勘がなくはっきりしない、
とのこと。記事に、「上京している」とありましたが、
川口カメラマンに聞いても
「いまの居場所はわからない」とのことでした。
《取材日 2009年4月28日》

当時の住宅地図が鍵に

photo14_syuzai1.jpg

横浜市中央図書館にある、
震災直前の神戸の住宅地図を見ると、
女性の旧姓(あまり多くないお名前です)と
同じ名字のお宅が、
長田区内の火災の発生した地区にありました。

現在の住宅地図でも、
近くに同姓のおうちがあり、
その住所に手紙を出したところ、
ご家族が八王子に転送してくださって、
なんと、ご本人から私たちに
電話がかかってきたのです。

現在のお名前はOさん。
快くインタビューに応じていただくことになり、
八王子駅近くのホテル内の喫茶店で
お話を伺いました。
《取材日 2009年4月30日》

見つかったのは指輪と焦げたネックレス

photo14_syuzai2.jpg

Oさんは、当時19歳。
パートで市立中央市民病院に勤めていました。

Oさん:思い出のものが残っていないか、
    4日目か5日目に途中まで行ったが
    余震で行けなかった。
    母がずっと貯めていた500円玉が
    気がかりだった。
    自分も、「たしかこの辺にあれ置いたなー」と
    思い出しながら、意地になって探した。
    見つかったのは指輪と
    こげたネックレスだけだった。

photo14_syuzai3.jpg

といって見せてくれたネックレスは焦げていて、
私たちの前でポロッと切れてしまいました。

なぜ、焼け跡に1週間も行かなかったのか
聞いてみると…。
《取材日 2009年6月20日》

もっと詳しいリポートは…
公式サイト
http://home.kobe-u.com/sinsai/photo14.html
をご覧ください。
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