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阪神淡路大震災[写真調べ学習]プロジェクトの中高生、大学生の活動(公式サイトはhttp://home.kobe-u.com/sinsai/)と、防災副読本『語り継ぎたい。命の尊さ~阪神淡路大震災ノート』(学びリンク刊)関連の動きをお伝えします。
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【写真6】避難所の無数の張り紙:なぜ「紙」に書かざるを得なかったのか?:1700人あまりの避難者 校内の呼び出しシステムだった/僕たちの阪神大震災ノート
【写真6】避難所の壁には無事を知らせるたくさんの張り紙 (1995年1月19日午後、神戸市長田区の蓮池小学校で  共同通信社)写真はここをクリック↓
http://home.kobe-u.com/sinsai/images/photo07_theme.jpg

なぜ「紙」に頼らざるを得なかったのか

photo07_team.jpg

フェンスいっぱいの張り紙。
安否を気遣うものが多いようです。
でも、ネットや携帯は使えなかったのでしょうか。
新聞や放送は役に立たなかったのでしょうか。
横浜緑ヶ丘高校チームが調べることにしました。

校内には1700人あまりの避難者がいた

夏休みを利用して、
私たちは神戸の蓮池小学校を訪ねました。

photo07_cm.jpg

チームのメンバーの母親が神戸出身で、
校区内に住む友人ルートで声をかけてくれて、
3人の女性が被災後の暮らしを話してくださいました。
そして小学校の教頭先生は、
学校の記録を教えてくださいました。

photo07_syuzai1.jpg


飯田さん(76):大きな電子レンジがお腹にパーンッと飛んできて目が覚めて。瓦が部屋の中に入ってきた。竹の入った壁土が倒れてきて顔がどろどろで、口をゆすぎたかったが冷蔵庫が倒れて水がない。口に(土が)入っているのは、たまらなく嫌。隣の人に缶ジュースをもらった。かろうじてそれで口をゆすいだ。そのあと蓮池小に避難しました。

平野さん(44):0歳の子どもに馬乗りになって、布団かぶって。エレクトーンと大きなたんすがあって、(それが互いに支え合って)ちょうど三角形のところに頭があって助かった。主人が来るまでがすごく長く感じた。家はぺしゃんこじゃないけど、全壊でした。そして蓮池小に避難しました。

前川教頭:学校の記録によると、生徒が5名、保護者が6名亡くなりました。当時527名の児童数だった学校に、1700人あまりの避難者が暮らしました。仮設住宅ができて(移っていかれて)、(避難者が)0人になったのは9月3日でした。

飯田さん:これ(張り紙)は本当に電話が通じない中で唯一の手段だった。それ(張り紙)しか連絡方法がない。ここに掲げてたおかげで大阪の親戚が、(私が)ここにいると分かって、いろいろなものを持ってきてくれた。水とか。
《取材日 2009年8月19日》

張り紙は校内の呼び出しシステムだった

photo07_ syuzai2

当時、神戸市職員で長田区役所勤務だった
清水さん(64)は、蓮池小学校避難所担当でした。
蓮池小の場合、張り紙はある“システム”に則って掲示された、
と証言してくださいました。
後日ある新聞記者が、
「(張り紙のおかげで)ほとんどの人が連絡できた」と
言っていたのを聞いたそうです。
《取材日 2009年9月 FAXで取材》

もっと詳しいリポートは…
公式サイト
http://home.kobe-u.com/sinsai/photo07.html
をご覧ください。



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